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和(なごみ)の概要
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旧柏原邸・旧市川医院 修復の経緯
旧柏原邸は、大正から昭和初期の土佐東部の建築様式で、当時豊富にあった魚梁瀬の天然木材をふんだんに使った貴重な建物ですが、20年近く空き家となり、傷みが著しくなっていました。
安田町では、平成20年に市川家、柏原家、両家のご厚意により両建造物の寄付を受け、遺構調査を経て、平成21年度から平成22年度にかけて修復を行いました。
旧市川医院は旧柏原邸につながっていて、両方の建物がほぼ同時期の外観洋風医院建築様式で、両方の建物が一体となり、和洋折衷建築でも他に類を見ないものです。
今後、この施設をまちなみの貴重な文化的遺産として、郷土の先人の顕彰などを通じた交流人口拡大事業の中心施設として活用していきます。
- 国登録有形文化財(平成24年2月指定)
- 旧柏原邸(旧柏原家住宅主屋・離れ、表門、東土塀・西土塀)、
旧市川医院の4物件が国登録有形文化財(建造物)に指定。
- 正面図
- 背面図
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旧柏原邸・旧市川医院修復前
旧柏原邸・旧市川医院 建築年
旧市川医院は木造平屋建、下見板張の洋館で、大正初期の地方医院の一事例として大変貴重な建物です。また、旧柏原家住宅は土佐漆喰の外壁、座敷飾りや欄間彫刻に地元大工の優れた技術や技能が用いられた建物です。
旧市川医院は、親族の話や、高知県の近代和風建築総合調査によって大正2年頃建築されたと伝えられています。
旧柏原邸は、主屋の和室床脇の天袋に2名の絵師の落款に加えて、 「昭和」「癸酉(みずのととり)」「壱月」の墨書があります。昭和8年の干支は「癸酉」ですので、天袋の絵は昭和8年1月に完成されたものと判断され、昭和初期に建築されたと推定されます。
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旧柏原邸・旧市川医院 遠景
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旧柏原邸 天袋の墨書
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旧柏原邸 近景
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旧市川医院 玄関